NVC(非暴力コミュニケーション)-その2-



いつも
ご訪問ありがとうございます。はつかです。




久しぶりの更新ですが相変わらずこのブログでは
【ただ喜びの存在としてワクワクの人生を生きる。】
をテーマに記事を書いています。







今日は、一年と四か月越しになりましたが「NVC(非暴力コミュニケーション)-その2-」と題してNCV (Nonviolent Communication=非暴力コミュニケーション)という コミュニケーションについてのお話しのつづきを書きたいと思います。




前回の記事はこちら







このテーマのお話は、一番下にリンクを張っています「NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法」という本の内容をご紹介しながら、




「ただ喜びの存在としてワクワクの人生を生きる」をテーマに
私が考えたことを自由にお伝えするというスタイルで書いております。







さてさて。。。
NCV (Nonviolent Communication=非暴力コミュニケーション)という コミュニケーションにおいては、







何か心地よくないこと




いわゆる 怒りや悲しみといった感情を感じるようなことが起こるときや







紛争を解決するときにおいて




自分とのコミュニケーションや対立する相手とのコミュニケーションなかでこんな問いかけを行います。













それは、「自分の中で、あるいは対立する相手の中で必要としているのに 満たされていないものは何か」
という問いかけです。




怒りや悲しみを伴う体験の中には必ず必要としているのに 満たされていないものが表現されています。







先々週ドラマの相棒17 #4を観たのですがあの回のお話は暴力団の恐ろしさが強調されている印象でした。




シャブ山シャブ子と名乗る女性からとある刑事の方が殺害されます。
(ドラマのお話のネタばれになりますのでこんな表現になっています。)













このドラマを観た人の反応は様々です。







個人的な印象ですが大半が心の中にある『恐れ』が表現されていたように見えました。










何故 このドラマをみて『恐れ』の表現がこんなにもあふれたのだろうと私なりに考えたことをこれから綴ってみますと




『自分の人生がどこか知らないところからいつかめちゃくちゃにされるのではないか』という恐れを持っているにからではないかと思うのです。













※このドラマでいうと、暴力団。ほかにも病気や事故など一見『自分の人生に突如降りかかってきたように見えるもの』によってめちゃくちゃになってしまうという恐れのこと










でもですね。許容し可能にする術の記事でも書かせていただいた通り




自分は自分の世界の創造主であることをすっかりわかってしまえば他人が自分の人生をめちゃくちゃにすることは起こらないのです。







私を含めこの世界に生きるすべての人の人生は完璧です。
そして、人生には自分が起こることを許したことしか起こりません。




しかし肉体的、精神的、社会的な視点での苦痛を感じることが起こるときその出来事を自分が自分の人生に対して起こることを許したという視点を持つことは難しいかもしれません。










そんなとき役に立つと私が思っているのが今回の記事でご紹介しているNCV (Nonviolent Communication=非暴力コミュニケーション)という コミュニケーションです。







マーシャル・B・ローゼンバーグ著「NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法 新版」
第1章 心の底から与える-非暴力コミュニケーションの確信-
では、NVCというコミュニケーションがどのような視点から生まれたのか綴ってあります。




今後NVCのお話を続けていくにあたって重要な視点ですのでかなりの長文で恐縮ですが ぜひお読みください。




以下 17ページより引用
はじめに
 人は生まれながらにして自分以外の人を思いやり、与えたり与えられたりすることを楽しむ。そう信じる私にとって、長年、頭から離れないふたつの疑問があった。人を思いやろうとする気持ちがいったいどういうわけでかみあわなくなってしまうのか、そしてそのあげく、暴力的になったり相手から搾取したりするようなふるまいに出てしまうのか。逆に、どれほど過酷な状況に置かれてもなお、人を思いやる気持ちを失わずにいられるのはなぜなのだろうか。
-中略-(著者のこどもの頃に体験した1943年の出来事)
 1943年のその夏以来、前述したふたつの疑問についてわたしは考え続けてきた。最悪の状況にあってもなお人を思いやる気持ちを失わずにいられるとしたら、何がそうさせるのか?たとえば、エティ・ヒレスムは、ドイツ軍の強制収容所という異様な状況でも他者への思いやりを失わなかった。当時の彼女の日記には、こう記されている。
 「わたしはそうたやすく怖がったりはしない。それは勇敢だからではない。人間だとわかっているからだ。そして、全力を尽くして人の言動すべてを理解する必要があるということも。今朝はそれがとくに身にしみた。不機嫌な若いゲシュタポ将校から怒鳴りつけられたからではない。彼に対し憤りは感じなかった。それよりも心の底から気の毒に思い、彼にたずねてみたかった。『恵まれない子ども時代をおくったのですか? それともガールフレンドにふられたの?』そう、彼はいらいらして余裕がなく、生気にかけて弱々しく感じられた。すぐにもその場で彼の気持ちを受けとめてあげたかった。なぜなら、彼のようなかわいそうな若い男性ほど、人間に対して歯止めがきかなくなるまで残虐になってしまうと知っているから」(エティ・ヒレスム『日記』)
何がどう影響して人への思いやりが失われてしまうのだろうかと研究しているうちに、言葉が非常に重要な役割を負っているということ、そして私たちの言葉の使い方がとても重要であることに気づき、わたしははっとした。それ以来、どのようにコミュニケーションをとれば、つまりどのように話をしたり聞いたりすれば、自分たちに本来そなわっている力――人を思いやろうとする気持ちを引き出せるのか、心の底から与えることができるのか、自分自身とそして相手と理解し合えるのかをさぐった。そうしてある方法にたどりついた。それを、「非暴力コミュニケーション」(Non-violent Communication)とわたしは呼ぶ。心のなかの凶暴性を鎮め、他者を思いやろうとする自然な心地を表現するには、ガンジーが使った”非暴力”という言葉がぴったりだ。自分では「暴力的」ではないつもりで話していても、口にした言葉が、相手ばかりか自分自身をも傷つけたり苦しめたりするきっかけとなることもある。これからご紹介する非暴力コミュニケーションのプロセスは、「人を思いやるコミュニケーション」とも呼ばれている。本書では、非暴力コミュニケーションを略して「NVC」と表記する。
(引用終わり)







絶望は、光に変えることができます。




それは何か特別な魔法によってではなく言葉による身近で現実的なコミュニケーションによってです。







恐れは、問いかけという光によって、その姿を現します。







そしてそれは、「恐れ」ではなく 
ただ
必要としているのに 満たされなかったものだったのだとわかるのです。










バシャールは
「未来は、えらべる!」において
このように話しています。
以下 65ページ 「第2章 運命は、変えられる」より引用
バシャールアクシデント(事故や偶然)というものはありません。
アクシデントというものはないのです。
すべては、その人が引き寄せているものです。
もちろん殺人などを犯した人を、擁護しているわけではありません。
けれども、次のような見方をすることもできます。
たとえばある人が、非常に強烈な恐怖に基づいた観念を持っていて、「自分は安全でない」とか、「自分は犠牲者だ」と思ったとします。すると、自分を傷つけるのに十分なくらい、人間性を尊重しない人を引きつけることになります。
でもここでは、「犠牲者のエネルギー」をつくらないことを、その人が学ぶことが大切なのです。
地球人は物事に対して「黒/白」に分けた見方をしがちなので、みなさんがいわゆる「殺人」と呼んでいる出来事についても「加害者/被害者」という見方をしてしまいます。
もう一度言いますが、これは別にどちらかを擁護しているわけではなく、ただ説明をしているだけです。
私たちの見方からすると、地球人が「被害者」と呼んでいる人は加害者でもあり、また「加害者」と呼んでいる人は被害者でもあるのです。
なぜなら、ふたり共同でその出来事をおこしているからです。
これらの出来事は、本来ならその人が「変わる」ための素晴らしいチャンスです。けれども、みなさんの社会ではそのことが理解され始めてもいないのです。
健そうですね。一般的にはまだ受け入れにくい考えかもしれません。




バシャールええ。しかし最近、この付近(ロサンジェルス付近)で、ある象徴的な出来事が起きたので、ご紹介しましょう。
ある企業に銃を持った若い男が押し入り、そこでは働いていた女性をつかまえ、「殺すぞ、金を出せ」と脅しました。
つかまえられた女性は恐怖を感じましたが、それでも彼女のもっともいい側面がそこなわれることはありませんでした。
命の危険を感じていたにもかかわらず、彼女は意を決して男に話しかけたのです。
そんなことをしたら、彼自身の身の上にどんなことが起きるか、「本当にあなたの幸せが心配なのだ」ということが伝わるようなやり方で。
同時に彼女は、「銃で人を脅す以外に自分が生き延びる可能性はない」と思うしかなかったこの男の境遇に、心からの同情を表しました。
彼女の思いやりに満ちた言葉にふれて、男は、その女性が本心から自分の身の上を気にかけてくれているのだとわかったそうです。
彼女のおかげで、その男は真実の自分とつながることができ、「自分が本当にやりたいのはこんなことではない」と気づけたのです。
彼は銃を女性に渡して謝罪しました。そして、自ら警察に出頭し、生きて、人生をポジティブに変えるチャンスを自分自身に与えたのです。
それらすべてのことは、わずか数分の間に起きました。
地球のもっと多くの人が彼女のように行動できれば、このような大きな変化が、いまこの瞬間にも起こせるのです。
ここでのレッスンは、「どんなに絶望的に見える状況でも、そうしたいという意志さえあれば、暗闇を光に変えられる」ということです。この流れがもっともっと進んでいくと、そのうち加害者も犠牲者もいなくなります。
(引用おわり)




上記の
バシャールが紹介した象徴的な出来事にて
女性がおこなったコミュニケーションこそが




この記事でご紹介している
NVCであることをお気づきでしょうか。




※上記と同じような事例が実際に「NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法 新版」「第8章 共感の力」 208ページより紹介されています。










暗闇は光に変えることができます。







私たちがそうしたいと思えば。










そして




この地球上に生きる




すべての人が




一人の例外もなく




ただ喜びの存在として




ワクワクの人生を生きることができるのです。










次のお話からは、
NVCにおけるプロセスのお話を書けたらいいなと思います。







今日も長文




読んでいただき
ありがとうございました。







私のブログを
あなたの創造の一部としていただき
ありがとうございます。







一緒にこの世界の創造を
楽しんでいきましょうね。







はつか










(以下 補足です)
NVC(Nonviolent Communication=非暴力コミュニケーション)ついて




NVC Japan 公式ホームページより 引用して以下ご紹介しています。
先取りしたい方は、ぜひ NVC Japan 公式ホームページや 本をお読みください。




NVC Japan 公式ホームページhttp://nvc-japan.net/nvc/
今回の記事にて引用したのは新版のこちらになります。





NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法 新版
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NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法
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NVC(Nonviolent Communication)
非暴力コミュニケーションNVC(Nonviolent Communication=非暴力コミュニケーション)とは、コミュニケーションにおいて相手とのつながりを持ち続けながら、お互いのニーズが満たされるまで話し合いを続けていくという、共感を持って臨むコミュニケーションの方法です。
カール・ロジャ-ス博士の弟子のマーシャル・B・ローゼンバーグ博士によって体系付けられました。




頭(思考)で判断・批判・分析・取引などするかわりに、自分自身と相手の心(ハート)の声に耳を傾けて、今の感情(Feeling)・ニーズ(Needs)を明確にしていくことで、お互いの誤解や偏見からではなく、心からつながりながら共感を伴ってコミュニケーションをすることを主眼にします。




具体的には、「観察(Observation)」「感情(Feeling)」「ニーズ(Need)」「リクエスト(Request)」の4要素に注目しながら、コミュニケーションで起こっている問題・ズレを整理していくという方法をとります。




こうすることで、自分の、また、相手の内側にある大切な思いを丁寧に扱い、ともに平和を創りだすことをめざします。
NVC Japan 公式ホームページよりhttp://nvc-japan.net/nvc/

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