イギリス人はむずかしい人間関係でも放り出さない。

前回ご紹介した、井形 慶子 著『3つに分けて人生がうまくいくイギリスの習慣』より、
印象に残ったお話を 引用して 詳しく自分なりに掘り下げてみたいなぁと
思いたち、これから 長文を書きます。
よかったら、お付き合いください。。。



(以下P210より引用)
 
 イギリス人がむずかしい人間関係でも放り出さないのは、人間関係の基本に、
「We must lean to accept other peopole’s weekness」
『人の弱点を受け入れることを学ぶ』という考えがあるからです。

では、どうすれば彼らのように柔軟な考えを無理なく持てるのか。

それにはまず、混沌とした相手に対する気持ちを3に分けてみましょう。
「理解できる・できない・わからない」
「好き・嫌い・不明」
「つき合える・絶交する・保留」

そうです。3で割ると、どちらともいい難いグレーゾーンが最後に見えてくるはずです。
ここで大切なのは、あいまいな感情に、どう向き合うかということ。
そのためにもこの人は合わないと相手を切り捨てたりせずに学んでみることです。

私たちは、パートナーや親友など身近な人の理解できない態度に憤りながらも、
その人について学ばなければ、人生で大切な人を次々と失ってしまいます。

悲劇とは、不快だ、合わない、非ず(あらず)、と人も物事も次々と否定することによって生まれます。


これでは深い幸せも満足も生涯得ることができないばかりか、去って行った人への無念さや、
相手に対応できなかった自分への空しさが蓄積されていきます。
そしてそのような経験を繰り返すと、「この人は、むずかしい」を思うたび、
いつも離れていくことで人間関係をリセットする選択しかできなくなるのです。

むずかしい人の性質を何とか変えるということは、その人の顔を取り替えることと同じく不可能なことです。
私たちは、いくら頑張っても人を自分の思うように完全に変えることはできません。

イギリスの人々は、むずかしい人を切り捨てるのではなく、相手のむずかしさを追求し、
批判する自分のメカニズムを切り捨てるべきだと考えています。


その上で、むずかしい人、特殊な立場の人に対しては、特別扱いせずふつうにつきあう。

相手が自分にしたことも深く考えない。

むしろ自分にとって腹立たしい一面を持っている人だと、腹を据えて相手と関わっていけば、
さらにバラエティある人生を築いていけるというのです。


それでも困難の壁が立ちはだかったら、相手のことも3方向から見てみましょう。
仕事人、生活者、個人と3つの切り口から、なぜこの人がむずかしい人になるのか考えるのです。

すると相手が抱える意外な問題や弱点が見えてきます。
そうすれば、仕事が上手くいっていない、生活に疲れている、人間関係で問題あり、など、
3つのうちのどれかに問題の本質があるとわかるでしょう。

その時自分を悩ませていたのは「むずかしい人」ではなく、
「何かしら問題を抱えた人」という捉え方もできるようになります。

何の偏見も持たず、ただ目の前で起きている現象だけを見ていくと、心のもやは晴れ、
気むずかしいけれど仕事仲間としては大切な人や、友人として気が合うけれど約束にいい加減な人までが、これまで通り自分のそばに存在することに気付くはずです。

そうなると、人生は3倍どころか、果てしなく、豊かにワイドに広がっていくでしょう。

否定して、切り捨てるものなど、もう何もないのですから。
(引用おわり)


私にとって、この文中にある「むずかしい人」とは、自分の父と母を指します。
私は、彼らのことが 理解できず、受け入れられず、
生まれてもう30年近くも一緒に暮らしていながら、良好な関係を築けずにいます。
どうしてこの人たちが自分の親なのだろう。。。そういうことばかり考えていました。
もっと、こんな人であってほしいとか、こういうときは、こんな言葉をかけてほしいとか、
なんとか 変わってくれないだろうか。どうやったら 変わってくれるのか。
でもこういうことは、どんなに願って努力しても 
その人の顔を取り替えることと同じく不可能なことなんだ、
いくら頑張っても人を自分の思うように完全に変えることはできないのだと
ほかの人に対してならば、すぐに そんな切り替えは可能なのですが、
こと両親のことになると なぜか感情的に変わってくれ!!と願う自分がいます。

私自身が今の両親を選んで この家に生まれてきたのであれば、
彼らから何か学ぶべきことがあるのだ ということはあるんだろうと思いつつ
そうは受け取れない自分がいて、逃げずにいるのが 精一杯。いまだにまともに向き合っていません。
だらだらと 時間を重ね、問題を先送りにしてきたような気がします。

今のような お互いに向き合っていない関係のまま 結婚し、
親元を離れることに なんともいえない不安を感じずにいられません。
・・・・
とりあえず、彼らへの混沌とした気持ちを 3つに分けてみます。

「理解できる・できない・わからない」→わからない。
「好き・嫌い・不明」        →好きな方、といいつつ不明(本音は好きになりたい)
「つき合える・絶交する・保留」   →まあ、つき合える。といいつつ保留。(できることなら良好につきあいたい)
今までは、一緒に住んでいたので、絶交などできるわけもなく
必然的に付き合わざる得ないところがありましたが
親元を離れるにあたって 「絶交もできる」そんな選択ができるので 
これから先、自分から向き合うことから逃げ、絶交までもいかなくても、まったく付き合いがなくなってしまう…
そんな未来はほしくないのです。
私は、両親ともっとあたたかで おだやかな良好な関係を築いていきたいのです。
それまで どうにか向き合っていこうと思います。
iv>

それには、
相手のむずかしさを追求し、批判する自分のメカニズムを 切り捨てることが必要。。。
そうすることで、手に入れられるものは、
両親とのあたたかい関係。
向き合えなかった問題と両親への葛藤を乗り越えたことで得られる 自分に対する信頼や自信。
というところでしょうか。

その先にあるのは、すばらしい未来で、私が手に入れたいと願う、エクセレントライフでしょう。


・・・・

私の両親に対する 混沌とした気持ちは グレーゾーンだらけでしたが、
今は これも良しとしておけばいいのかもしれません。。。。

結婚式で 読むであろう「両親への感謝の手紙」が、いつまでも白紙のままでは、
両親もかわいそう過ぎですもの、向き合い続けることで 言葉が出てくるのを待ちたいと思います。




コメント

タイトルとURLをコピーしました